LGBTQ ゲイ活

セクシュアリティ

前回の自己紹介記事にも少しだけ自分のセクシュアリティについて書きましたが今日はもう少し詳しく書いていきたいと思います。
是非自己紹介記事もご覧ください。

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周りとの違和感を感じ始めた幼少期

 

周りとの違和感を感じ始めたのは保育園に通っていた6歳の頃。当時は園庭でスポーツをするより、砂場でおままごとをするのがすきな子供でした。

私の通っていた保育園だと男女の垣根なく遊ぶのが普通だったので、男の子が女の子に混ざっておままごとをしていても違和感はありませんでしたし、

女の子が男の子と一緒にスポーツをしていても違和感はありませんでした。今考えれば極力男女で区別しないとても素晴らしい保育園だったと思います。

しかし、自分の記憶の中にある一番最初の周りと自分とのセクシュアリティの違いを感じる出来事が起こるのです。

 

おそらく秋のスポーツシーズンだと思います。私の保育園では毎年サッカー大会に出場するのが恒例となっていました。しかし、保育園の意向か大会のルールかは不確かですが男子のみが大会に招集させられ、女子は参加不可、

そしてまさかの男子は強制的に出場させられるというものでした。もちろんおままごと大好き系男子だった私にとってはかなりの苦行でした。

そしてその大会に向けて1ヶ月くらいは男子は強制的に練習に参加しなきゃいけないというものでした。

スポーツがあまり好きではないという理由もあったかもしれませんが、なぜ女子はサッカーをやらずに男子だけがやらなきゃいけないの?という気持ちも確かにありました。

一度練習をさぼっておままごとを女の子たちとしていたら、その後そのことがバレて担任の先生に怒られたこともありました。

 

このくらいの時期から、なんとなく他の子とは少し違うかもしれないという違和感と、男女で分けるというシステムにゲイというセクシュアリティを持っている私はものすごく恐怖を覚えたのを覚えています。

学校は地獄

 

私が学生のころはセクシャルマイノリティにとって日本の教育システムは正直にいって地獄でした。

私が学生の時に常に感じていたことといえば、足並みを揃えなくてはいけない目立った個性をだしてはいけない

こんな考えを常に持っていました。

 

男子は男子らしく、女子は女子らしく、平成生まれの私でさえ先生からこんな言葉を毎日のように聞いていました。(田舎の学校だったからかもしれません。)

セクシャルマイノリティという言葉は今ほど浸透していませんでいたし、知っている先生もいたかもしれませんがそんな人は自分の周りにはいないという前提でセクシャルマイノリティに対しての差別的な発言はよくありました。

幸い、自分のセクシャリティやジェンダーが原因でいじめの被害に遭うことなどはありませんでしたが、少しでも世に言われる女子らしい(本当にこの言葉は使いたくない)言動をしてしまったら、

イジメられてしまうのではないかという恐怖は常に持っていました。

 

これも、男は男らしく、女は女らしくというカテゴリーに当てはめるような教育から来るものだと今では思っています。

そして、今ほどSNSが発達していなく自分と同じ境遇を持つ人の情報を得ることが難しかったのも一つの要因だと思います。

カミングアウトについて

 

数人の友達は私がゲイということは知っていますが、基本的にはクローゼット(ゲイであることをオープンにしていないこと)です。

家族にはカミングアウトはしていません。ですが、これは家族と仲が悪いとかではなく特に改まってカミングアウトする必要もないかな?というような考えがあるからです。

 

学校では少し窮屈さを感じていた一方で、私の家族はいろんなことに対してオープンマインドであり、私が子供の頃から言動が柔らかかったり、女の子とばっかり遊んでいたりしていたことに対しても

何一つ注意することなく、私の考えを常に尊重し自分の人生は自分で選択をしていくんだという直接言われたわけではないが、無言の教えがあったから

ゲイである自分を必要以上に悲観的になったり悩んだりすることがなく、ありのままでいいんだと考えられるようになり、

改まった形でのカミングアウトはいらないかなと思うようになりました。

 

※これはあくまで私の家族のケースですのでカミングアウトは不必要といった提案しているわけではありません。

自分の人生

 

誰のものでもない自分の人生。この考えがいつもあります。

もちろん自分勝手にしていいというわけではないですが、自分自身で人生の選択をする権利があります。それと同時に責任もあります。

セクシャルマイノリティであってもいろんなことが出来ます。もしかしたら出来ないこともあるかもしれません。でも、できるように行動することもできます。

立ち止まって待っているだけでは何もいいことは訪れてくれない。だからゲイである自分には何ができるのだろう、何がやりたいんだろう、何をすべきなんだろうと常に自分自身に寄り添い、自分の声を聞いてあげ、自分自身を受け入れ自分の人生を自分で選択しながら生きていきたい。

アイデンティティのように重要で、個性のようなちょっとしたことのようなゲイという言葉と共に。

 

Kei

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